泣きたくなる。
あなたを見ていると。
手をのばしても、届かないこと、知っているから。

雲が流れていく。
風に吹かれて、気ままに、ゆっくりと。
伸ばしても届かないから、伸ばさない。

好きになって欲しいと、願ったけれど、
こちらを向いてくれないから、もう願わない。

桜は咲かない。
まだ、硬く閉じこもったまま。
ずっと、まだ、春の夢の中、うつつも幻も知ることが出来ず、瞳を開けられない。

-----　桜恋　-----

「桜、咲いたらいいね」
「はひぃっ！」
急に背後から声をかけられて、顔を上に向けて、それを見ることに集中していたハルは飛び上がりそうになった。
というか、文字通り本当に飛び上がったから、学ランをはおった黒髪の少年は、ちょっと眉を上げた。
「・・・そんなに驚くこと？」
「ひ・・・ヒバリさん・・・・・・だって・・・」
着地して何か言おうとしたハルを無視して、雲雀は空を見上げる。
ハルは横目でそんな雲雀を見ながら、少し呼吸を落ち着かせた。
「・・・・・・ヒバリさんは、桜がお好きですか？」
「別に・・・好きでも嫌いでもないよ、ただ・・・」
「ただ？」
「桜が嫌いなひとっているのかな？」
ハルは一瞬、きょとんとした。
それって、ヒバリさんも桜が好きってこと、なんじゃあ・・・。
ハルは心の中で、クスリと笑った。なんて天邪鬼。

「なに、笑ってるの」
無意識に心の中が、顔に表れてしまったのだろうか。
雲雀がムスっとした顔で、ハルを見ている。
その雲雀の表情にまた、おかしくなった。
「だって、ヒバリさん、可愛いんですもの」
抑えきれなくなって、クスクスクスと笑うハルを見ながら、
「この僕に向かって、可愛いなんて言えるの、君以外いないよ」
さらにムッとして言うから、
「そうですか？おかしいですね」
そんなことも言ってみる。
「・・・おかしいのは、君だと思うよ」
ボソッと言って、雲雀は焦点を再び空に合わせた。
クスクス笑っていたハルもつられて空を見上げる。

そこには、枝にびっしりついた桜の蕾。
今にも弾けだしそうなほどにパンパンに膨らんで先端が薄ピンク色に彩られている他の枝に比べて、ハルたちが見上げている枝の蕾は、まだ小さく、硬く、閉じられたままだ。

「咲くでしょうか・・・桜」
「春になったら、咲くんじゃないの」
「こんなに硬そうなのに？」
「毎年、咲くでしょ。桜は」
「咲かない桜もあるかもしれませんよ・・・現にこの桜は春になっても咲かないんです。
何故か、こんなふうに枝いっぱいに蕾をつけるのに、毎年咲かないんですよ」
「ふぅん、そうなんだ。どうして？」
「・・・・・・雲に恋したからですよ」
「君は、面白いことを言うね」
「そうでしょうか・・・」

そうでしょうか。
ハルは心の中で繰り返した。

会話がポツンと途切れた。
雲雀の学ランがヒラリと弧を描く。
「・・・ヒバリさん」
「じゃあね、三浦」
ゆっくりと過ぎ去っていく雲雀の背中がだんだん小さくなっていき、ハルはそれをじっと見つめていた。

雲に恋した桜を知っていますか、ヒバリさん。
風に想いをのせて、雲に花びらを届けたいけれど、臆病な桜は、届かないことが怖くて、想いが届かないことが怖くて、
ずっと、ずっと咲けないでいる。
今年こそは咲こうと、想いを届けようとするのだけど、あと一歩のところで、蕾を開くことができないんです。

ハルは、口をひらく。
瞳を細めて、黒い学ランが空にはためくのを、黒い髪が風に揺らめくのを見つめながら。
春の冷たい空気にかき消されるほど、ごくごく小さな、小さな声で。

「・・・恭弥さん・・・」

(あなたがすき・・・)
過ぎ去っていく、その後姿に。
恋しい、そのひとの名前を、そっと呼んで、心の中でささやく。
届いてほしい。ハルの想い。気づいてほしい。本当は。

歩を進めていた雲雀の歩く足が、ぴたっと止まって、その角度を変えた。
大きく方向転換した長い足は、そのまま、ハルの方向へ戻ってくる。

「・・・？はひ？」
思いもよらず、スタスタと大股でこちらへ戻ってくる雲雀の行動にハルは動きが固まった。
顔に熱をおびてくるのがわかる。
・・・もしかして、聞こえてしまった？
恥ずかしくて、急いで
「ひっ、ヒバリさん！また明日！」
と、誤魔化すように大声で叫んだ。

だが雲雀は、そんなハルの大声を無視して、あっという間に目の前まで戻ってきてしまった。
真正面から見据えられるその前に、ハルは思わず、顔をさげる。
雲雀の顔をまともには見れなかった。恥ずかしさと気まずさと、怖さと。
勝手に名前を呼んで・・・気分を害したかもしれない。
ジャリっと、ハルの右足が一歩下がった。
うつむいたハルの顔をお構いなしに、雲雀は首を傾けて、覗きこむ。
視線を感じて、目をちょっと上にあげると、切れ長のオニキス色の瞳とガチリと合ってしまって、
さらに顔の熱があがってしまって、背中にヒヤリとするものが流れていく。
謝ってしまおう。先に。何か言われる前に！
「はひっ！ご、ごめんなさい！！！」
そう言って、くるっと回転して走り出そうとしたハルの腕を雲雀は掴んだ。
「はひっ！！！」
「・・・さっきの・・・」
身体を硬直させるハルを無視して、雲雀は言葉を続けた。
「さっきの、もう一度」
「はひ？えっと・・・ごめんなさい」
「じゃなくて・・・さっきの」
「えっと、えっと・・・また明日・・・？」
「違うよ、その前だよ」
雲雀はムスッとして、ハルの身体を正面に向けさせると「さっきのだよ」ともう一度、繰り返した。
ハルは口をぱくぱくさせて、漆黒の瞳から目線をはずして、そうして更に真っ赤になってうつむいて、消え入りそうな声でつぶやいた。

「・・・恭弥さん」

「もう一度、大きな声で」

「恭弥さん」

「もう一度」

「恭弥さん」

「・・・うん、君が呼ぶ響きは、嫌いじゃないな」

「え？」
雲雀はハルの腕からパッと手をはなすと、再び歩き出した。

「桜は、咲くんじゃない？今年こそはね」

そう言って、顔だけ向けて微笑むから。
自分が立っているかどうかも分からないほど、頭の中がまわって、へたへたと座り込んでしまった。
心臓がバクバクいっている。
「は、反則です・・・」
情けない声をだして、ハルは土を見続けた。

もしかしたら。

桜は咲くかもしれない。

END