「・・・む？」
背後から聞こえてきた音に了平は、前へ前へと打ち込んでいた両手を止める。
その音は、ポツポツポツという不定期で頼りない音から、だんだん足早になり、とうとう盛大な不協和音に変わる。
「雨か・・・久しぶりだな」
夏の到来で、毎日カラリと晴れた真っ青な空の下、学校までの道のりをロードワークにはぴったりの極限の暑さだ！と言いながら走っていた了平にとって、雨は久しぶりだ。
庭に咲く、真っ赤な美しい百日紅が、久しぶりの雨の恩恵を受けている。
了平はしばらくそんな百日紅を眺めていたが、
「・・・はわっ！極限にしまった！」
なにかに気づいたように、自分の部屋を飛び出して、バタバタと階段を下りていく。
ターンして玄関先まで来て、キキッと右足でブレーキをかけて目を向けたアルミの傘立てに、小さな水玉模様のピンク色の傘が立たされたままになっているのを見て、了平は頭をガリガリかいた。
「やっぱり・・・京子のやつ。傘を持って行かなかったか・・・」
彼は、自分の傘と京子の傘を持つと、雨が降る並盛の街へと玄関のドアを開いた。
「おにぃちゃん」
「・・・・・・・・・」
「おにぃちゃん」
「・・・・・・・・・」
「おにぃちゃん！」
「・・・あ、なんだ京子」
「もう、お兄ちゃんったら。さっきから何度も呼んでいたのに。ねぇ、今日の天気予報、どんな感じ？」
「ん？晴れなんじゃないのか」
「もう、お兄ちゃん、ちゃんと聞いてた？お兄ちゃん、今日学校お休みだから、朝から『目覚まし、コケっこっこー』見てた
でしょ。愛ちゃん、なんて言ってた？」
「晴れだ、晴れ、極限１００パーセント晴れだって、愛ちゃんも言ってたぞ」
「そうなんだ、なんだか微妙そうなお天気だから、どうかなって思ったのだけど。じゃあ、今日は傘はいらないよね」
雨の中を早足で歩く了平の頭に京子とそんなやり取りをした朝の光景が浮かぶ。
実は、トレーニングをしていたから、まともにお天気お姉さん・愛ちゃんの予報を聞いていなかったんだよな。
でも、晴れだって言っていたような気がするのだが・・・。
それでも、妹が傘を持っていかなかったのは、自分を信じたわけだから。
迎えに行くのは、兄として当然の義務なのではないか。極限に。
並盛の校門をぬけて、校舎内に入ろうとホールに近付いたとき、入口からちょうどホームルームが終わったのだろう、がやがやと大量の生徒が出てきて、了平はその波が過ぎるまで、しばらく足を止めていた。ふと顔を向けたとき、右端から出てくる二人の姿が目に入った。手をあげて、呼び止めようとした彼は、だけど、その手を急速におろした。
きれいな青色の、少し大きめな傘の中、自分の大切な妹が彼に向かって笑っていた。
傘を持っている彼も笑っている。
フンワリとした空気が二人を包んでいて、そんな二人の雰囲気が雨にまで浸透したように優しく二人を包んでいるみたいだった。目には見えないけれど、きっとその空間に入ると誰もがホンワリと優しい気持ちになれそうな、そんな空間を二人は作っていた。
「幸せ、なんだな。京子」
ポツリとつぶやいて目を細めて彼はクルリと後ろを向いた。人の中に溶け込むように、足を後ろに一歩下げ、体の方向を変え、傘を深めにさす。「了平・・・さん？」
ふと、聞き慣れた声が聞こえて、了平は傘をあげる。
「・・・花」
「あー、やっぱり。了平さん。どうしたの。今日は３年生、お休みなんでしょ」
「いや、なに、ちょっとな・・・」
「・・・あ、もしかして京子を迎えにきたの？」
「え？なぜに分かったのだ？」
「だって・・・」
大きなリアクションで驚く了平に花は、クスクス笑って、了平の手が握りしめている傘を指差す。
「これ、京子の傘でしょ」
あ、そうか、と傘を見直す了平に花はまたクスクス笑いながら
「京子、沢田と一緒に帰ったみたいですよ。途中、会わなかったですか？」
「うん、さっき見かけた。でも、声はかけなかったんだ」
了平は、ふたりが消えていった校門に目を向ける。
校門へ抜ける生徒達もピークを過ぎて、まばらに歩いているだけだ。
「・・・寂しい？」
「は？」
ふいにそんな言葉をかけられて、了平は、目線を花に戻す。
「京子を取られて」
「・・・いや、別に、極限に、そんなわけは・・・」
了平の視点は、空中で止まる。
そうであって、そうではない。
そうではなくて、そうではあって。
それは時に胸の奥底でザワザワして、ドロドロとしたものが心の底を触れるか触れないかくらいな感じで、彼の心を気持ちの悪いものにする。その理由を自分で、気付いていないふりをして、いや本当は気付いていたけれど、気にしないようにしていた、みないようにしていた。
それをズバリと見透かされたような気がして、彼はバツが悪くなった。
―あっ！
了平は弾かれたように瞳を見開く。
なんだかとっても嬉しいものが湧き上がってくる。
そうだ！そうなんだ！
いきつくところは極限にそれなんだ。
それは絶対に変わらない。
「俺の妹は、極限に幸せものだ！！！」
「なんですか、いきなり。もぅ、妹バカ」
花はクスクス笑う。
「おう！俺は極限に妹バカなのだっ！」
了平もハハッと笑う。
「花、ありがとな」
「え？なにが・・・ですか？」
「色々と、さ」
俺の心をすくいあげてくれて。
ありがとう、花。気付いていても、ひとりじゃ、なかなか割り切れない想いだったから・・・。
「・・・あれ、ところで、花、傘は？」
瞳をほそめて、「変な了平さん」と言いながら、笑う花を見ていた了平は、彼女が手にカバンだけを提げていることを不思議に思う。
「あ、傘？私、持ってきてないので雨がやむまで、図書館にでも寄って行こうかなって思っていたところです」
「それはいけないぞ！花！お前の好きなテレビ番組の再放送が今日から始まるって、愛ちゃんも言ってたぞ」
「はぁ？愛ちゃん？」
「あ・・・いや、愛ちゃんはお天気お姉さんだ」
しどろもどろして、頭をガリガリかいている了平の隣りに、少し高いところにいた花は、そこからポンッと了平の隣りに飛び下りる。
「私の好きなテレビ番組がはじまっちゃうから・・・お兄さん、傘貸して、ついでに送ってくれます？」
了平の顔を覗き込むようにして、花はにっこりと笑う。
了平は、花の睫毛が思ったより長いことに気がついて。頭をガリガリかいて。
「・・・ああ、いいぞ、極限にな」
「京子、どうした」
「お兄ちゃん、やっと会えた」
息をきらした京子はにっこり笑うと、そのまま駆け足で兄の隣りに並ぶ。
「お兄ちゃん、せっかく迎えに来てくれたのに、すれ違っちゃったみたいで。私とお兄ちゃんの傘がなかったから。
今日はツナくんが送ってくれてね。」
「それで迎えに来てくれたのか・・・」
「うん。おかえり。お兄ちゃん」
京子は了平の手から自分の傘を持って並んで歩きはじめる。
「・・・ただいま。京子」
そんな妹を横目に見ながら、了平は歩幅をあわせて一緒に歩く。
なぁ、京子。
きっとお前の隣りにずっと一緒にいられるわけではないけれど、俺にはあんな笑顔は与えられないかもしれないけど、
でも、もう少しだけ俺の妹でいてくれよな。お前を守らせてくれよな。
もう少し、もう少しだけ。
隣りに並んで一緒に歩いていきたいんだ。
極限に。
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1万ヒット御礼リクエスト「笹川兄妹」でした。そういえば、私のテキストでお兄さん、京子ちゃん、花ちゃんは、初登場です(＾＾)
リクエスト、ありがとうございましたｖ
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