「・・・・・・・・・・・・？」
いつもなら、車の止まる音がしただけで、彼が帰って来るのが分かってドアを開けて「お帰りなさい！恭弥さんっ！」と、気を引き締めないとひっくり返りそうな勢いで笑顔で首筋に飛び付いてくるのに、今日はそれがなくて、仕方なくスタンバってた態勢を元に戻して、雲雀は億劫そうに鞄から鍵をとり出した。

ドアを開けてもハルが迎えにくる気配もなく、彼はリビングへ向かう。
「・・・ハル、いないの？」
そう言いながらリビングへ続くドアを開けたとき
「ぎゃあぁあぁぁぁぁあああぁぁぁっ！！！」
盛大な泣き声が聞こえて雲雀には最初、何の叫び声なのか分からず、自分の目に映った床の上に転がっている物体に目をわずかだが開きざるをえなかった。

「・・・ハル、その子は？」
「よしよし、大丈夫ですからね〜」
赤ちゃんのオムツを替えながらハルは雲雀が帰って来たことに気が付いていない。
返事がないハルに雲雀は若干ムッとして、そばに寄る。
相変わらず、ぎゃぁあぁぁぁぁあぁぁあっと、泣き続ける赤ちゃんに眉ねをひそめ
「・・・ハル、その子は？」
ハルの耳元でもう一度同じ質問を繰り返す。
「はひ？え、あ、え・・・と、恭弥さん？あれ？いつの間にお帰りに？」
やっと気がついたハルは目を丸くして雲雀を見つめて、そうして愛しい旦那さまに微笑みかけたが、すぐに視線を赤ちゃんに戻すと、オムツの端をパチリととめた。
「ほぅら、気持ち良くなりましたねー」
ハルはニコニコしながら赤ん坊を抱き上げると、凶悪に激しく泣いていた赤ちゃんは先ほどの騒ぎはどこえやら、ぴたっと泣きおさまり、あたりに静けさが広がった。
「・・・その子、誰？」
ハルの胸元に抱かれている赤ちゃんを見ながら雲雀が明らかにムッとした顔で三度目の質問を繰り返した。
「はひ？あ・・・ツナさんのお子さんですよ。半年前に産まれて、みんなで見に行ったじゃないですか」

もっとも昔と変わらず群れるのが嫌いな雲雀はもちろん行かなかったが。
「今日はツナさんと京子ちゃん、結婚式に行っていらして、ハルが半日ですがお預かりしているんです。
ふふふ、かわいいですよね。ぷにぷにです！」
ハルはニッコリしながら、赤ちゃんの手をにぎる。
「うぶー！うぎー！」
赤ちゃんは小さい怪獣みたいな声を発しながら目尻をさげてハルの指をにぎりかえしてくる。
「はひー！キュートですっ！」
ハルがもう、たまらないという顔で赤ちゃんを見つめる。
「・・・ねぇ、僕のご飯は？」
「あばば〜」
「うぎー」
「・・・ハル」
「はひ？え？なんですか？恭弥さん」
「・・・ご飯」
「あ！すみません。まだなんです。今からすぐに作りますね」
雲雀は溜め息をつきながら、紫紺色のネクタイをゆるめはじめた。
「はい、ちょっとだけ、この中に入っていてくださいね」
ハルは赤ちゃんを一緒に預かったゆりかごの中に置こうと、そっと自分の体から放そうとした途端、「ギャーっ！！！」、火山が爆発したような、つんざくような鳴き声が響きわたり、雲雀は動きをとめた。
「はひ、嫌でしたか？よしよし」
ハルは、そんな雲雀の様子に気付くことなく再び赤ちゃんを抱き上げると、ゆっくりと左右に体を揺らす。
「うぶ〜、きゃっきゃっ」
「ふふっ、赤ちゃんって、とってもキュートですよね」
自分の胸元で喜んでいる赤ちゃんが本当に可愛くて、ハルは彼女のそばで烈火のごとく、静かに怒りを表している旦那さまに気がつかない。

「よし、よし、今度はどうされたのですか？はひっ！？」
うっとりとした顔つきで赤ちゃんを見つめるハルから雲雀は乱暴な手つきで赤ちゃんをもぎ取る。
「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁーっ！！！」
「きょ、恭弥さん、もう少し、丁寧にされないと・・・ひっ！」
泣き叫ぶ赤ちゃんを心配そうに見て、そんな扱いをしてしまった雲雀に抗議の声をあげようとしたハルだったが、片手で赤ちゃんの首根っこを摘んでいる雲雀の瞳が、それはもう彼女が久しぶりに見る静かなる凝縮されたドロリとした本気の怒りのオーラを発していてハルは思わず声を飲み込んだ。

・・・・・・彼女は最近、気づくようになっていた。
ハルが愛している、この美しく優しい旦那さまのその限りない愛しみと慈しみはハルにだけに向けられる特権になっていることを。
彼の心底は優しく強くて誇り高いハル理想のヒーローなのだが、それが惜しみなく向けられるのはハル一人だけなのだ。

それはそれでハルは雲雀の特別だということを実感出来て、とてもとても嬉しくて幸せに思う。
・・・思うのだが。
こんなにちっちゃくて可愛くて弱い赤ちゃんにだって、自分に向けてくれる雲雀本来の性質を向けてくれても良いのに、とハルは赤ちゃん可愛さに不満に思う。

そう思って「きょうや、さん」と意を決して赤ちゃんを取り戻そうと一歩踏み出したハルを雲雀が片手をあげて制止した・・・途端、それまで激しく泣き叫んで部屋中に響き渡らせていた赤ちゃんの泣き声がピタリ、と止んだ。

しー・・・ん・・・と、何日ぶり？と思うほどに、久しい静けさがあたりを包む。

くすり、雲雀が笑んだ。

「・・・この子は僕に預けてもらっていいから、君は僕の食事をお願いするよ」
「・・・えっと」
赤ちゃんを片手できちんと抱え直した雲雀の突然の申し出にハルは雲雀と赤ちゃんを交互に見ながら・・・雲雀は何故かちょっとご機嫌になったみたいだし、赤ちゃんは笑ってはいないけど泣き止んだみたいだし、よく分からないけれど、何しろ、雲雀からツナさんの赤ちゃんを見てくれるよ、と言ってくれたのだ。

ハルはにっこりして「・・・では、お願いしますね」と苺の柄のフリルのついた白いエプロンを手にとってクルリと方向を変えた。
それを確認して雲雀は長い足を組んでソファに座る。

「・・・さすが沢田綱吉の息子ってところかな。僕の殺気に気付くなんて、ね」

よく見れば赤ちゃんの顔が目に涙を溜めて泣くのを懸命に我慢してプルプルしていて、だけど父親譲りの超直感にしたがって命を守ろうとしている・・・説明すればそんな感じで、要は極限状態な表情なのだが、雲雀は愉快そうにつぶやく。

「・・・僕も赤ん坊というのが欲しくなってきたな」

 

その日の夜、赤ちゃんを迎えに来た沢田夫婦の背中を見ながら、寂しそうにしていたハルを抱えてベットに連行した雲雀からそんなことを提案されて「はひっ！」と頬を桜色に染めたハルが恭弥さん、大好きです！と抱きついた旦那さまの壮大な胸のうちを奥さまは知らないのだった。

END(2011.04.03)