「・・・・・・・・・？」

微かに、雲雀はひとの気配を感じて足を止めた。
紫紺がかったオパール色の瞳がすぅっと細まった。

・・・ここは、そう易々と部外者が入れるはずもないのだが・・・。

そう、ここは、並盛中の支配者であった雲雀恭弥が10年後、作り上げた財団・・・並盛風紀財団の本拠地であり、彼の忠実なる部下、草壁が管理しているため、そう簡単に関係者以外は入れないようになっている。

それに加えて、現在はミルフィオーレの脅威もあり警備態勢も厳しいものとなっており、そして、この場所は白蘭を倒すために期間限定で協定を結んでいるボンゴレ基地に繋がる道からも逸れており、普段ひとが入り込むような場所でもなかった。

訝しげに気配のする方へ足を進ませていた彼だが、ふと立ち止まる。
細い指を彼の口元に当てて思考を巡らせた後、「・・・ふぅっ」とため息をひとつ、クルリと身体を回転させて、もと来た道を戻りだした。
一時して、再び帰ってきた彼の手にそれを持って。

「・・・っ、ひっく・・・っ」
少女の泣き声が聞こえる。押し殺したような泣き声。
よく知った彼女の。

こんなところまで入り込んで。
・・・・・・まぁ、彼女だから、何が起こっても有り得るのかもしれないが。
そうでないと、この僕が彼女に捕まるわけはない。
雲雀は口元をあげて瞳を和らげる。
彼女を思うと自然に顔が柔らかくなってしまう。最近、気付いてしまった彼がなおしたいと思っている悪いクセだ。
・・・最近は無理だと諦めてもいるのだが。

雲雀の愛する彼女・・・今、泣いている彼女より10年経ったハルは、自分より先に入江正一が作った装置の中に入っている。
最初、ボンゴレ十代目ボスである沢田綱吉、そして入江正一から、今回の計画を聞いたとき、瞬発的な怒りを抑えることが出来なかった。

彼女は風紀財団で保護する。
君たちの干渉は受けないよ。

それだけ言ってきびすを返したとき、「雲雀さんっ！」肩に手を掛けられそうになり、反射的に薙ぎ払ったトンファーを生意気にも躱され、冷たい目で沢田綱吉を見据える。

「あわわわわわ・・・・・・」
そばではメカニックのひ弱な彼が例のごとく、腹を両手で抱えていた。

「・・・雲雀さんも分かっているはずでしょう。・・・悔しいけど、今の俺たちじゃ回避出来ないくらい事態は悪化していること」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「俺だって、京子ちゃんや、いくら守護者だからといって、まだ5歳のランボやイーピンをこんな不安定で危険な世界に巻き込みたくないです。・・・ハルだって、うわっ！」
トンファーがツナの鼻先をめがけて高速で振りぬかれて、彼はそれをどうにか紙一重で避ける。
「・・・僕は今でも君の口から彼女の名前を聞くのは、好きではない」
「・・・それでも」
足を踏ん張りツナは雲雀に負けじと真っすぐに対峙する。
「・・・雲雀さんの気持ちも解りますけど・・・俺にも譲れないものがありますから」
10年かけて、誰もが認める立派になったボンゴレ十代目ボスは、清濁を抱えることを覚悟した瞳でそのように呟いた。

結局。
こちらの世界にやってきた10年前の彼女は気丈にも、草食動物たちの世話を楽しげにやっている・・・ように見える。
あるとき初めて、ツナと雲雀の修行中に重箱を抱えてやってきたハルの目の前で、タイミング悪く、雲雀にぶっ飛ばされて壁にめり込んだ姿を見て、「っ！ツ、ナさんっ」顔色を蒼白にしてツナに対する呼び声もままならず震えるハルに、ツナは目もくれず、呼び声に答える隙も作らず、雲雀に反撃すべく飛んでいった。
その後、それっきりハルが来ることはなくなった。

・・・そんなことを思い出しながら、彼女のそばに足を忍ばせる。
足音を消して歩いているためか、それともひとが来ないことを確信しているのか、雲雀から見えるハルは口元に手をあてて、堪えるように涙を流している。

ああ、変わらない。10年経っても、その泣き方。
僕のことで泣かせてしまったとき、ハルのくせに、僕に隠れて泣く素直じゃない君を見つけては、僕はため息まじりで手を伸ばしたっけ。
へんなところで素直じゃない君のクセは、中学の頃から、そうだったのか。

カツン。
「はひっ？！」
わざと足音を立てて近づいてやると、ハルはびくっとして顔をあげる。
その大きな瞳は涙にぬれて、赤くなっていた。

「あ・・・え、と、ひ・・・ヒバリさん・・・？」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
ハルはいつの間にか傍にいる彼が、上から真っすぐに自分を見つめていることに気付いて、急いで目をこする。
「え、と・・・あの、」
本来なら、あまり馴染みのない年上の、それも男性であるひとに、なかなか自分から話をふることはないハルだが、泣いているところを見られた焦りからなのか、はにかんで誤魔化すように言葉を続けた。
「・・・ヒバリさん、どうしてココに・・・？」
「・・・ココは僕の・・・並盛風紀財団の所有地だよ・・・ただ僕以外は誰も来ないけれど」
「はひっ！そ、そうだったのですかっ！ごめんなさい、ハル、いつの間にか入り込んでしまったみたいで・・・はひっ！？」
事実を知って、あわてて立ち上がろうとしたハルの上から、バサリと何かが降ってきた。

「・・・・使いなよ」

頭上から降ってきたものでハルの視界は暗く遮られているなか、そんな雲雀の声が聞こえてきて、頭に覆い被せられた黒いものをズルズル引っ張って手元に引き寄せて、首を傾けながらハルが広げた、それは。

「ヒバリさんっ、これは・・・！」

彼女が反射的に顔をあげたときには、すでに目的のひとの姿はなく―。

戸惑いながらハルは、視線を自分の手にある黒い物体に戻した。

「・・・・・・使っても、よろしいので、しょうか・・・・・・」

ハルが雲雀から受け取ったそれは、彼の中学時代の彼自身の象徴・・・左腕の部分に「風紀」の腕章がついた学ランだった。

この世界に来て、本当は心細くて、怖くて、不安で不安で仕方がなかった。

みんな頑張ってる、だからハルも。
みんな戦っているのだから、ハルだけ弱音をはくわけにはいかない、心配をかけちゃいけない。
みんな頑張ってる。
頑張っているから。

だけど。
だけど―。

ひとりで泣ける場所を探してた。
本心を吐露できる場所が欲しくて、探して見つけた場所。

・・・・使いなよ

ハルは、じっと学ランを見つめる。
少しズシリと重量のあるそれは、大きくて温かくて、涙で不安定なハルの心を慰めてくれているようだった。

ハルが知っている雲雀恭弥というひとは、自分が関心がある人物しか関わり合いをもとうとしない、特にハルのような何の力を持たない人間などに目もくれなさそうなひとかと思っていた。
そう、ハルみたいな弱い人間には・・・。

だけど彼は彼の大切であろう学ランを貸してくれた。
ハルがココを離れようとしたとき、彼は彼の大切な学ランとともに、ココから離れることを止めてくれたのだ。

後ろめたかったハルの弱い心を雲雀に許されたような気がして、乾いていたハルの瞳にまた涙がこみあげてくる。

「・・・っ、うっ」

伝わり落ちる涙が学ランに触れないようにハルは雲雀の学ランを両手でぎゅっと抱きしめた。

いつか、貴方みたいに、強くなれる日まで。
貸していてください。この場所と貴方の学ランを。

END(2011.07.03)