空虚

ってこんな気分。

ああ、こんな気持ちなのか。

君がいないこんな世の中、未練なんて、なにもない。

天から落ちてくる白くやわらかなものが男の肩に積もっては溶ける。

何度も何度も何度も男の肩に積もっては溶け、積もっては溶け。

カラスのように黒い髪に積もっていき、溶けていき。

泣いているのかな？

彼もまた、彼とは違った悲しみのなか、ぼんやりと思った。

自分も泣いていた。

大切な友人が亡くなった。

自分の心の痛みも相当なものだと思うが、恋人・・・だった、彼、雲雀恭弥の痛みを思うと、その痛みは想像すら出来なかった。

自分が見た限りでは、彼は彼なりのやり方で、彼女を大切にしていたように、とても愛していたように、思う。

あの、雲雀恭弥が、だ。

誰よりも群れることを嫌い、孤独を愛し、誰ひとり彼に近づかせなかった、孤高の、紫紺の瞳を凍らせたあの男が。

その彼が唯一、この世で、彼に近づくのを許した存在。

誰が知っているだろう、彼の氷の瞳が溶ける瞬間なんて。

彼の溶けた瞳が向けられた先にいた、彼の唯一無二の少女・・・ポニーテールが似合う、ツナたちの友人、三浦ハル。

だけど、彼女はいない。

この世に、もういない。

死んでしまった、から。

彼女の身体はすでに骨になって、煙になって、天に、地に、彼女が逝ける場所に、彼女は還ってしまった。

誰も、もう、届かない。

傍若無人な彼でさえ、絶対君主な彼でさえ。

男の肩に、とめどなく雪が積もっていく。

空の外気は、夜のそれへと変わる。

冬の日暮れは早くて、ツナは身震いした。

雪はだんだん強まっていって、彼に積もる雪も溶けなくなってきていた。もう、溶けない、雪が。

雲雀の髪に、瞳に、まつげに、肩に、すべてに彼の黒さのすべてに、雪は積もり続ける。

「・・・ヒバリさん、家に入りましょう」

「・・・・・・・・・・・・」

「ヒバリさん、ヒバリさん、いくらヒバリさんでも、これ以上、こんな寒空に立っていたら、死んでしまいますよ、家に入りましょう」

「・・・・・・・・・・・・」

「・・・っ、・・・・ヒバリさんが、いくらそうしていたって、ハルはもう・・・」

「・・・・さい」

「ハルはもう・・・生き返らないんですよ・・・」

「・・・うるさい」

一言、なにも感情のない声でつぶやいた雲雀が、はじめてツナを見た。

「・・・・・・ヒバリさん、・・・まさか」

彼は泣いてはいなかった。

ただ自分をまっすぐに見つめる雲雀の瞳が、すでに自分の知っている瞳ではなくなっていてツナは戦慄を覚えた。

「・・・僕のことは僕が決める、草食動物には関係ない」

ぽつり、とそれだけをいつものように吐き出すと、くるりと向きを変えて、雲雀はツナから離れていった。

夜風がびゅうっと吹いて、すぐに彼の姿を見えなくする。

雪の上に残る彼の足跡は、容赦なく降り積もっていく雪で、すぐに消されていってしまう。

雪は吹雪に変わってきていた。

夜のにおいに、雪のにおいに、死の影を感じて、ツナは雲雀を追いかけようとして・・・その足は動かなかった。

手だけを伸ばした。無意味だと知りながら。

もう届かない。きっと、誰にも、彼に、届かない。

たぶん、うん、きっと、何もかも、無理なんだろう。

生きることが、なにも、一番でも、ないのだろう。

空虚

ってこんな気分。

ああ、こんな気持ちなのか。

君がいないこんな世の中、未練なんて、なにもない。

雲雀は立ち止まり、トンファーを投げ出し、仰向けに倒れ、天から落ちてくる雪を見続けた。

雪が彼の頬に何度もふれ、水となり、すぅっと落ちていった。

彼は切れ長の瞳を閉じる。

ひとすじのナイフを冷たくなった右手にもち、切っ先を彼の首筋へと近づけた―。

「・・・バリさん、ヒバリさんっ！」

「・・・・・・・・み、う・・・ら？」

「いくら応接室が温かくても、こんなところでうたた寝しちゃあ、風邪ひいちゃいますよ」

「・・・・・・・・・・ああ」

一瞬、自分がどこにいるのか、分からなかった。

ただ、じんわりと開いたオニキスの瞳に映した、いつもの見慣れた少女と光景に、彼は飛んでいた思考を一瞬で軌道修正した。

ふぅっと息を吐いて、彼の右手を額の上に乗せて、寝転んだまま横目で確認する。

しゅうしゅうとヤカンがのったストーブからでる湯気と、黒い重鎮な自分のデスク、の後ろにある窓が外の寒さを物語るように白く曇っていた。

自分が横たわっている黒いソファに、・・・目の前にいる黒髪の、瞳がやたらに大きい和菓子のように甘ったるい身体をもつ少女、いつまでも見つめていたい少女、三浦ハル。

三浦ハル。

「・・・ひぅばりひゃん、にゃにをしゅるのでしゅか？」

むにむにと音がしそうなほどハルのやわらかい頬を、ハルの瞳にうつる雲雀は無表情のまま、彼の親指と人差し指で左右にひっぱっている。

「・・・生きてるのかな？って思って」

「ひゃひ？にゃにをいっているのでしゅか？」

「・・・君こそ、なにを言っているの？」

「・・・んもぅ、ヒバリさんっ」

ハルは顔をふるふると振って、ヒバリの唐突な行為から逃れる。

「・・・生きてるんだ、三浦」

「生きてますよ、へんなヒバリさん」

ふっと笑ったように見えた雲雀をハルは一瞬みとれて、頬を染めて不思議そうな顔で見つめていたが、唐突に、あ、そうです、見てください、ヒバリさんっ！と両手を叩いて、ぱたぱたと応接室にある簡易的なキッチンまで走っていくと、冷凍庫を開けてなにやら取り出してきた。

「じゃーん！見てください、ヒバリさんとハルですっ！」

ことんと雲雀の目の前にソレをおくと、ハルは両手でパチパチと叩きながら、発表する。

お皿の上に乗せられた、ふたつの雪だるまは、ひとつは雲雀の形を模していて、ひとつはハルの形を模していて、ぴったりと寄り添っていた。

「ふふふ、京子ちゃんのお家でクリスマスケーキが焼きあがるまでの間、ハルはせっせと作っていたのですっ！
今日はホワイトクリスマスですし、ヒバリさんとご一緒にクリスマスも過ごせますし、可愛く雪だるまも作れましたし、ハルは・・・ベリーハッピーです！！」

胸元に両手をあわせて満面の笑みを浮かべるハルに対して、じっと雪だるまを見つめていた雲雀は、なにやら苦虫をつぶしたような顔になった。

「・・・どうかされましたか、ヒバリさん？」

「・・・三浦ハル、君は夢の中でも、現実でも、僕を逆なでするスペシャリストだ・・・」

ボソッとそれだけをつぶやいた雲雀が急にすくっと立ち上がり、皿をつかんでスタスタ歩き出して窓をガラッと開けたかと思うと、

「はひっ？」

ハルが作った雪だるまが乗せられた皿ごと、そのまま、ぼたん雪が降りてくる並盛の空へ、ぶんっと投げ出した。

「はひー！！！ハルの、ハルの、力作がー！」

窓へ急いで駆け寄ったハルが空へ手を伸ばしても、それはもう、遅くて。

もう、姿かたちも見えなくなって。

「・・・ひ、ヒバリさんっ、ひどい、ひどいです、ハルの力作なのにっ、はひっ！」

わなわなと涙目で唐突な行動にでた彼に抗議をしようと振り向いたハルは、彼に抗議することも、いつものように雲雀にひどいことをされたときに、両手をぶんぶん振り回して胸元をぽこぽこ殴ることも出来なかった。

ハルは彼に抱きしめられていたから。

雲雀の片手がハルの頭をつかんで彼の胸元にぴったりとくっつけて、ハルの細い腰を彼の腕が囲っていたから。

じんわりと彼の温かい体温と彼の心臓の音が聞こえるほど、自分が彼に近づいているという事実、ハルは真っ赤になって目をしろくろさせた。

信じられない。

ああ、やたらうるさいです、ハルの心臓のおと、どくどくどくんって、ヒバリさんに聞こえちゃう？

はひ、もう、なに、これ、いきなり、クリスマスの奇跡？

「・・・あの、その・・・ひ、ヒバリさん・・・？」

「・・・君がここにいる、僕がそばにいる、それだけで良いんじゃない？」

「はひ・・・？」

「あんな溶けて消える、模型なんて、いらない。君がいれば、それでいい」

「・・・ヒバリさん・・・あっ」

くんっと顎を持ち上げられて、ハルの瞳に雲雀が映る。

「・・・ひば・・・」

まつげが触れそうになるほど近くまで、彼の顔が彼女の顔に近づいて重なろうとした瞬間、

「おいっ！ハル、お前、京子ちゃん家にクリスマスケーキ忘れてるぞっ！まったく・・・ぎゃあぁっ！」

「はひぃ！」

無造作にガラッと開けられた応接室のドア、頭を雪まみれにしたツナがずいっとケーキの箱を片手で前に差し出し・・・、
ハルは叫んでびょんっと後方に雲雀から飛び離れて、雲雀は行き場のなくなった両手をじっと見つめて、ツナは二人の密着具合を見て、これまた叫んで、前に差し出したケーキの箱を持った状態のまま、固まった。

「はひ、ああ、はる、くりすますけーきをわすれていたのですね、ああ、はるってだめですね、かんじんなくりすますのけーきをわすれるなんて、つなさん、ごめんどうをおかけしてしまい、すみませんでした、おとどけ、ありがとうございます、
ああ、はる、すぐにこーひーをいれますね、けーきもきりますね、ああ、つなさん、つなさんもごいっしょにいかがですか、
あ、つなさんはいまからきょうこちゃんちですね、ああ、わざわざつなさんほんとうにありがとうございます、
あ、ありがとう・・・ござい・・・はひー！！！」

一呼吸もせず、ハルはぎしぎしとロボットのようにツナのところまでやってきて、クリスマスケーキを受け取ってコトンとかろうじて箱をテーブルの上に置くと、そのままツナの横をぎゅんっと超高速で走り抜けた。

パタパタパタと鳴り響くスリッパの走り去る音、はひー！はひー！はひー！彼女の変な口癖がこだまになって応接室まで響いてくる。

「んな、ハルー！！・・・ひっ、ヒバリさんっ！！」

なんとか金縛りをといたツナがハルの出て行った廊下の方向へ振り向こうとしたとき、ぴゅんっと一線、彼の頭上をなにかが飛んでいき、ガコンっという音、ぱらぱらぱらと鼻先に壁の一部が落ちてきて、ツナが恐る恐る仰ぎ見たものは・・・「さわだ、つなよし」「ひっ！」

世にも恐ろしい、死神の瞳、バジリスクの瞳、メドゥーサの・・・ああ、石化しようとする、ツナの身体。

「失礼しましたー！！！」

なんとかコカトリスの瞳を振り切って、ツナはハルが消えた方向へ全速力で走り出し、
(ツナ、なぜ反対方向に向かって走らなかったんだ？と不思議そうに言ったのは、あとからその話を聞いた、彼の家庭教師)
雲雀もまたブンっとトンファーを一振りし、それを追う。

聖なる夜、アクアマリン色に彩られたクリスマスツリーがきらきらとゆれる並盛町、その名前がつけられた並盛中では、「はひー！」という奇妙な叫び声と、「ぎゃー！」という世にも恐ろしい叫び声と、がこんっ、どこんっ、という何かが不気味に破壊される音と、が１時間くらい響き渡っていたそうな。

END(2011.12.25)

ああ、そういえば、夢のモノローグも彼だった。

三浦ハルが死んだ夢にさえ、彼が出てくるなんて。

やっぱり、沢田綱吉は、一度、咬み殺さないと、気がすまない。